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五十幡亮汰の経歴wikiや母親は?陸上の記録や消えた天才だった?





ドラフト特番番組で紹介されていた五十幡亮汰選手が話題に!

五十幡亮汰選手は学生時代に野球の他に陸上をされていて、かなりいい成績を記録しているとか。

今回は気になる五十幡亮汰選手の経歴wikiや母親について。

また陸上の記録や消えた天才といわれている真相について調べていきました。



五十幡亮汰のプロフィールは?

名前:五十幡亮汰

読み方: いそばた りょうた

生年月日: 1998年11月27日

年齢: 22歳

出身地: 埼玉県行田市

身長: 172㎝

体重: 67㎏

投打: 右/左

五十幡亮汰選手は埼玉県行田市出身の22歳でした。

五十幡選手の強さは一級品の走力にあります。

なんと50mのタイムは5秒6とかなり早いのが分かりますね。

実際に中学時代は陸上部に所属しており、全国大会でサニーブラウン選手と競って勝っています。

しかしあくまでも野球がメインで、陸上は野球のプラスになる走力を鍛えるためだったとか。

陸上ではオリンピック出場もできそうな記録を保持しながら野球に極振りしている五十幡選手!

そこには涙なしでは語られないエピソードがありました。(後半に紹介します)



五十幡亮汰の経歴wikiは?

五十幡亮汰選手の経歴はこちら

  • 行田市立東小学校 行田東フェニックス
  • 行田市立長野中学校 東京神宮シニア
  • 佐野日大高校
  • 中央大学

五十幡選手は小学1年生の時に『行田フェニックス』に所属し野球を始められました。

小6の時にヤクルトJr.に選出されたとか。

小学生の頃から注目されていますね!!

中学時代は陸上部に所属していましたが、野球では東京神宮シニアでプレーされています。

主な成績はこちら

  • ジャイアンツカップ 全国3位
  • U-15に選出 アジアチャレンジカップ出場

 

中学時代もいい成績を収めていますね。

高校は佐野日大高校に進学し1年からベンチ入りするも甲子園出場にはならず・・・

しかし高校時代でも注目されていたようで、大学野球部名門の中央大学に進学。

中央大学での成績はこちら

  • 明治神宮野球大会:1試合、打率.500、0本塁打、0打点、0三振、出塁率.600、1盗塁
  • リーグ戦通算:68試合、打率.264、2本塁打、17打点、43三振、出塁率.304、24盗塁
  • 2019春季リーグ:12試合、打率.239、1本塁打、4打点、12三振、出塁率.271、3盗塁
  • 2019秋季リーグ:11試合、打率.300、0本塁打、4打点、5三振、出塁率.364、9盗塁
  • 2020秋季リーグ:6試合、打率.292、0本塁打、0打点、3三振、出塁率.346、4盗塁

大学野球日本代表にも選出されているので、ドラフト指名で選ばれて欲しいですね。



五十幡亮汰の陸上での記録がすごい?消えた天才と言われる理由も

五十幡亮汰選手は『消えた天才』という異名を持っています。

それは中学時代の陸上で成績から言われているんだとか。

五十幡選手は中学時代は陸上部に所属しており、全国大会に出場するほどの実力だったとか。

出場種目は

  • 100m
  • 200m

と短距離選手で200mでは21秒81という数字を出し、優勝しています。

そして中学時代には陸上のサニブラウン選手と競ったこともあるとか。

全国大会の100mでサニブラウン選手は10秒97に対し、

五十幡選手は10秒92をマークし0.5秒差で五十幡選手が優勝しました。

それもあり、『消えた天才』、『サニブラウンに勝った男』という異名をつけられているそうです。



五十幡亮汰の母親はどんな人?

五十幡亮汰選手が『消えた天才』と呼ばれるのは、オリンピックや世界陸上も夢ではない陸上を捨て、野球選手を目指したからです。

それは亡き母との約束があったとか。

五十幡選手は小学1年生の時に地元の『行田東フェニックス』で野球を始めます。

五十幡選手の母親は、息子の野球する姿が大好きだったそうです。

しかし、五十幡選が小学3年生ときに、母親はガンで他界されています。

母親から渡された最後の手紙には

『お母さんは亮汰の野球をしている姿が大好きだった!約束した夢を叶えて』と書かれていたそうです。

一次は野球を辞めようと思ったそうですが、高校から野球を再開させています。

母との約束を胸に頑張っている五十幡選手に涙が出ますね。

その夢を絶対に叶えて欲しいです!!