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筒美京平の死亡で死因は?経歴や妻(嫁)息子など家族構成も気になる





昭和史に残る有名作曲家である筒美京平さんが亡くなられました。

ご冥福をお祈りいたします。

筒美京平さんの死亡で死因はなんだったのか?

そして経歴や妻(嫁)や子供など家族構成についても調べていきました。



筒美京平が死亡?死因は?

筒美京平さんは2020年10月7日に死亡されていたことが分かりました。

ご冥福をお祈りします。

以前から自宅で病気療養中だったそうで、死因は『誤嚥(ごえん)性肺炎』でした。

  • 唾液や食べ物を飲むときに、誤って気管に入ってしまうことを誤嚥(ごえん)という
  • 通常は気管に物が入ると咳などむせることで異物を排除する
  • しかし高齢者になると反射機能が弱まり、異物が肺に入ったままになってしまい、肺炎になる

 

自宅で療養していたのは、誤嚥性肺炎での療養だったのかもしれませんね。

症状は発熱・激しい咳・膿のような痰が続くようで仕事ができる状態ではないでしょうね。

重症の場合は呼吸器具も装着されるそうです。

大物作曲家の訃報にとても残念です。



筒美京平の経歴は?

名前: 筒美京平(つつみ きょうへい)

本名: 渡辺栄吉

生年月日: 1940年5月28日

年齢: 80歳

出身地: 東京都

 

 

筒美京平さんは幼いころからピアノをされていて、クラシックのピアニストを目指していたそうでが、大学時代にジャズに打ち込むなど様々なジャンルの音楽を吸収したとか。

学校は青山学院初等部~青山学院大学経済学部を卒業されてます。

青山学院は私立の名門校で学費も高いので実家はお金持ちだったのではと思います。

大学を卒業し『日本グラモフォン=ポリドール(現ユニバーサルミュージック)』に就職。

洋楽部でディレクターとして働かれていたそうですが、先輩上司の勧めで歌謡曲を作曲もされていたとか。

その後1968年にいしだあゆみ『ブルーライト・ヨコハマ』を作曲し、オリコンチャート1位を獲得!

その後2010年代まで作曲として活躍されていました!



筒美京平の有名な作曲した曲は?

筒美京平さんの作曲した有名曲について調べていきました。

『魅せられて』 ジュディ・オング 1979年

第21回日本レコード大賞を受賞された『魅せられて』を作曲されていたのは筒美京平さんでした。

イントロの最初の部分がとても特徴的ですよね。

また作詞は阿木燿子さんで昭和の売れっ子作詞家と作曲家ペアの曲でした。

『スニーカーぶる~す』 近藤真彦 1980年

近藤真彦さん自身の最大のヒット作である『スニーカーぶる~す』はミリオンセラーを達成し、『ザ・ベストテン』では初登場1位でした。

筒美京平さんはジャニーズの曲も多く作曲しています。

近藤真彦さんの初期の楽曲のほとんど作曲や、少年隊のデビュー曲『仮面舞踏会』、TOKIOの『AMBITIOUS JAPAN』まで多く作曲していました。

 

『木綿のハンカチーフ』 太田裕美 1975年

最近、若い世代にも昭和歌謡曲が人気だそうですが、若い世代からも人気の『木綿のハンカチーフ』も筒美さんの作曲だとか。

筒美さんは昭和史に残るほどの大作曲家でした。



筒美京平の妻(嫁)や子供など家族構成は?

筒美京平さんの妻(嫁)や子供について調べていきました。

筒美京平さんには息子がいるそうで、歌手の平山三紀さんのデビュー曲『ビューティフル・ヨコハマ』の歌詞の中に息子さんの名前が出てくるとか。

踊り上手なハルオにゼンタ

この『ゼンタ』というのが筒美さんの息子の名前だとか。

こちらの曲は1970年11月30日に発売された曲なので、息子さんの年齢は50代~60代なのではと思います。

また筒美さんには嫁(妻)はいますが、情報は一切ありませんでした。

結婚時期も1970年以前にされているのではと思います。